私が鉄道撮影をしなくなった理由
以前にもSNSやブログ等で書いていると思いますが、ここ数年の間、鉄道撮影というものをほとんどしなくなりました。理由はいくつかありますが、いちばん大きいのはマナーの悪い「自称撮り鉄」の存在で、一緒にされたくないという気持ちです。
書籍「鉄道模型と電子工作」のサポートページに、「趣味は生涯現役の秘訣!?」というコラムを掲載しています。ここには、私なりに思う「良い趣味の姿」と「悪い姿」を書いていますが、近年、鉄道撮影でこの「悪い姿」が特に目立つようになりました。状況によっては刑法の往来危険罪に問われるような事態にも関わらず、それを告発せずに必死に抑え込む駅員や乗務員などの姿があり、こういったものを見てしまうと、状況を考えながらカメラを構えても、同じものに見られるのは嫌だという気持ちの方が大きくなってしまいました。こういう気持ちがあり、結果としていわゆる「乗り鉄」にシフトしました。
私個人の気持ちとして、こういう輩がいて肩身が狭いにもかかわらず、正々堂々と正攻法で鉄道撮影をしている方々の姿を見ると、尊敬します。そういう方々の写真は、フレームやピントなどが間違っていたりしても、なんというか、清々しく感じるのです。
私個人の気持ちをもうひとつ。やはり往来危険の案件は、厳しくするしかないかなと思っています。できれば、鉄道運営各社と鉄道雑誌各誌、運輸局、警察などが一堂に会し、撮るならこう撮ってほしいとか、こういうのはダメというようなガイドラインが出てくると、ゆっくりでも改善されていくのかなと思っています。
書籍「鉄道模型と電子工作」のサポートページに、「趣味は生涯現役の秘訣!?」というコラムを掲載しています。ここには、私なりに思う「良い趣味の姿」と「悪い姿」を書いていますが、近年、鉄道撮影でこの「悪い姿」が特に目立つようになりました。状況によっては刑法の往来危険罪に問われるような事態にも関わらず、それを告発せずに必死に抑え込む駅員や乗務員などの姿があり、こういったものを見てしまうと、状況を考えながらカメラを構えても、同じものに見られるのは嫌だという気持ちの方が大きくなってしまいました。こういう気持ちがあり、結果としていわゆる「乗り鉄」にシフトしました。
私個人の気持ちとして、こういう輩がいて肩身が狭いにもかかわらず、正々堂々と正攻法で鉄道撮影をしている方々の姿を見ると、尊敬します。そういう方々の写真は、フレームやピントなどが間違っていたりしても、なんというか、清々しく感じるのです。
私個人の気持ちをもうひとつ。やはり往来危険の案件は、厳しくするしかないかなと思っています。できれば、鉄道運営各社と鉄道雑誌各誌、運輸局、警察などが一堂に会し、撮るならこう撮ってほしいとか、こういうのはダメというようなガイドラインが出てくると、ゆっくりでも改善されていくのかなと思っています。